民主的シティズンシップ教育とは


民主的シティズンシップ教育

 民主的シティズンシップ教育(education for democratic citizenship)とは、ヨーロッパの人権や民主主義などに取り組む欧州評議会を筆頭に、ヨーロッパで広く推進されている教育活動の一つで、ドイツでは「政治教育(politische Bildung)」と呼ばれる流れと「民主主義教育(Demokratiepädagogik)」と呼ばれる流れがあります。では、そもそも民主的シティズンシップとは何かというと、名嶋ほか(2019:2)では「民主的社会において、民主的で主体的な生き方を理念として志向し、それを実践し、他者と共に生きようとする[中略]市民に求められる資質」とされています。

 福島(2011:4)の訳とまとめによると、Audigier(2000)やStarkey(2002)では、民主的シティズンシップの中心的な構成要素として「認知的能力」「情動的能力と価値の選択」「行動できる力、あるいは社会的能力」が挙げられています。「認知的能力」とは、法律や民主主義、現代の世界などについて何かを判断する際に必要な知識を持つことです。「情動的能力と価値の選択」とは、多様な価値観に対して、耳を傾け、他者を尊重する力のことです。最後の「行動できる力、あるいは社会的能力」とは、他者と協力し、責任を持って協働する力、公平な議論に参加する力、そして時には議論の仲介を求めたり自ら仲介したりできる力のことです。

ドイツの「政治教育(politische Bildung)」

 上述したように、ドイツの民主的シティズンシップ教育には「政治教育(politische Bildung)」と「民主主義教育(Demokratiepädagogik)」の2つの流れがあります。ここでは主に「政治教育」について述べたいと思います。「民主主義教育」については、詳しくは柳澤(2014、2018)をご覧ください。

 近藤(2009:10-12)によると、「政治教育」は民主主義を支える教育で、各個人が自らの意見を持ち、政治に参加する力を身につけることを目的としています。「政治教育」の起源は17世紀までさかのぼり、20世紀に入ってからは第二次世界大戦の教訓や冷戦期のイデオロギーの対立を経て、おおむね今の形となりました。現在の「政治教育」において、次に述べる「ボイテルスバッハ・コンセンサス」が重要な柱となっています。

ボイテルスバッハ・コンセンサス

 ドイツの「政治教育」はボイテルスバッハ・コンセンサスという合意に基づいています。この合意は、1976年にドイツの政治教育学者たちによって、最低限の「政治教育」の理念としてまとめられたものです。具体的には次の3つの原則から成ります。

 

   (1) 圧倒の禁止

   (2) 論争のある問題は論争のあるものとして扱う

   (3) 個々の生徒の利害関心の重視

   (訳語はすべて近藤(2009:12)に基づきます。)

 

 一つ目の、「圧倒の禁止」とは、教師が生徒にある特定の立場や主張を押し付けてはならないという原則で、生徒が自分自身で自分なりの答えに辿り着き、自分の考えを持つことを妨げないようにするものです。二つ目の、「論争のある問題は論争のあるものとして扱う」というのは、さまざまな立場の意見を出し、議論があるものは議論があるものとして提示しなければならないというものです。三つ目の、「個々の生徒の利害関心の重視」とは、多様な状況に置かれた生徒が、自身にとっての利益や関心事を大切にしながら、政治的な参与をしていけるようにするものです。

連邦政治教育センター

 ドイツの「政治教育」を支援・促進する公的機関として、連邦政治教育センター(Bundeszentrale für politische Bildung:以下bpb)があります。bpbは「政治教育」に使える教材・書籍・ビデオの提供や、様々な政治的トピックに関する記事の公開、イベントの開催などをしています。ログブックもbpbによる出版物です。

日本におけるログブックの活用の可能性

 日本ではまだ「政治」と聞くと抵抗を示す子どもたちが多いのではないでしょうか。日本の子どもたちにとっては、学校で学ぶ「政治」と自分たちの生きる社会が結び付いていないように思われます。これに対し、ログブック「政治」では、身近な日常から政治について考えるようになっています。自分の身の回りの生活を通して、社会をじっくり見ることのできる若者を育てることが狙いの教材です。対象は5年生以上の子どもとなっています。例えば、子どもたちの学校生活の中にも、政治的なものは溢れていて、そこから「政治」が始まっていくのです。ログブック「政治」では、このような政治に関わる幅広いテーマが冊子全体にちりばめられた構成となっています。

 また、「新しい国」は、ドイツに移住した若者の移民、難民向けの教材ですが、故郷を離れ、新しい土地で暮らしていく若者の不安と正面から向き合ったもので、彼ら・彼女らの人権を守るためのヒントが溢れる教材となっています。大きなテーマは「私自身」「私の世界」「移住先の国における私」の3つです。ところどころで、使用者である「私」にも社会参加の可能性があるということが示唆されています。さらに、使用者が感じるストレスを可視化させる工夫や、「つらいときは無理をする必要はない」というメッセージなど、心理的負担への配慮が各所に見られます。

 日本でも外国人人口が増え続け、生活の中で外国人と接触する機会が増えています。さらに、外国人以外にも、多様化が進む社会で、自分と大きく異なる「他者」と出会うことは増えているのではないでしょうか。「他者」と関わって共生するには、政治的なことが伴います。つまり、日本で暮らす一人一人の政治への関心や、他者との対話の姿勢を持つことの重要性は、ますます高まっていると言えるでしょう。これから日本の社会を支えていく次世代の子どもたちが民主的シティズンシップを身につけることで、多様な人々が共に生きていける社会を形作ることができるのではないでしょうか。また、政治的背景から苦悩を抱える人たちにも、自分自身がおかれている環境や自分の考えを知り、さらに、身近な他者を知ってもらうことで、「私」と「他の人」、そして「社会」との対話が生まれてくるのではないでしょうか。

 ご家庭で、教室で、ログブックを使って、自由な民主的シティズンシップを育む活動をぜひ行っていただきたいと、翻訳者一同願っております。

もっと知りたい方へ

 ドイツの「政治教育」(民主的シティズンシップ教育)の紹介と、日本での実践の可能性について、以下のサイトでシンポジウムや学会発表の資料がご覧いただけます。

「よりよき市民性教育のために」

参考文献

近藤 孝弘(2009)「ドイツにおける若者の政治教育」『学術の動向』14 巻10 号、10-21.     <https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/14/10/14_10_10_10/_pdf/-char/ja > 2021年4月10日最終閲覧.

名嶋義直、中川慎二、野呂香代子、三輪聖、室田元美(2019)「序章」『民主的シティズンシップの育て方』ひつじ書房、1-22.

福島青史(2011)「『共に生きる』社会のための言語教育 欧州議会の活動を例として」『リテラシーズ』8、1-9.     <http://literacies.9640.jp/dat/litera08-1.pdf> 2021年4月10日最終閲覧.

三輪聖(2020)「ドイツの「政治教育」の教材」名嶋義直、神田靖子(編)『右翼ポピュリズムに抗する市民性教育-ドイツの政治教育に学ぶ』

    明石書店、83-95.

柳澤良明(2014)「ドイツにおける民主主義教育の実践枠組み」『香川大学教育学部研究報告第I 部』141 , 43–57. <https://kagawa-u.repo.nii.ac.jp

    /?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2048&item_no=1&page_id=13&block_id=21> 

    2021年5月3日最終閲覧.

柳澤良明(2018)「ドイツの民主主義教育から見た日本の主権者教育の課題」『香川大学教育学部研究報告第I 部』149 , 137–151. <https://kagawa-

    u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2133&item_no=1&page_id=13&

    block_id=21> 2021年5月3日最終閲覧.

Audigier, Franҫois (2000) PROJECT "EDUCATION FOR DEMOCRATIC CITIZENSHIP": Basic Concepts and core competencies for education for

    democratic citizenship. Council of Europe, Strasbourg.

    <http://www.ibe.unesco.org/fileadmin/user_upload/Curriculum/SEEPDFs/audigier.pdf> 2021年4月10日最終閲覧.

Starkey, Hugh (2002) Democratic Citizenship, Language Diversity and Human Rights: Guide for the development of Language Education

    Policies in Europe; From Linguistic Diversity to Plurilingual Education. Language Policy Division, Council of Europe, Strasbourg.

    < https://rm.coe.int/democratic-citizenship-languages-diversity-and-human-rights/1680887833 > 2021年4月10日最終閲覧.